ようやくWi-Fiもつながり、PCから書けるようになりました!(*´∀`*)ノ
結局京都行ってからもう1週間経ってしまった(汗)
まずはわたくしめの、どうでもよい近況から(ええええええ)
鼻がつまって仕方がありません(本当どうでもいいなw)
というか、鼻水ズルズルの状態が短く、固まってくれるのはいいのですが
鼻の中がガビガビしますぞ、御館様(誰)
喉もあわせて痛イガイガすることから、若干風邪気味かと思うのですが、
この時期はカッフ~ン(花粉)の可能性も。
秋口はわりと咳やら何やらで毎年悩まされるので、何がどれに該当するか謎です。
そして、あまり吹き出物は顔に出ないと思っていたのですが、最近一気に
自分の額がわりと気持ち悪いことになっていて、いただけません。(えええええ)
最初はシャンプーがいけないのか!?とか、化粧品があわないのか!?とか
よく洗顔ができていないのか!?とか、思いましたが、
けっこうどうでもよくなってきました(投げやり~!!)
そんなわけで、2週間経ったので、ちょっとここ1ヶ月ほどの近況を。
2週間前に、父が緊急入院しました。
で、先週の半ばに手術が終わり、今は経過を見守るような感じです。
もうこの1ヶ月を振り返ると
なんかもうわけわからなかったなと。(いろいろと)
実は5年前にも血尿が出て病院にいったら、そのまま緊急入院をした経緯があるのですが、
度重なる検査とその痛みに耐えきれず、病院をぬけだした父。
その頃にも、前立腺癌の疑いがあるんじゃないかというのがあったのですが、
すっかり父は医者嫌いになってしまって(元より嫌いですが)、それ以降
一切病院にいくことを断固拒否していたのです。
健康診断も一切いかない。具合が悪くても、血尿がでようとも、家族が再三病院に
診てもらってといっても断固拒否。家族の心配など迷惑だといわんばかりの態度で
何度心の中で、この頑固じじいめが…っ!
と思ったことか(ひでぇな、娘)
まぁ、そんなわけで、ここ5年間、元気……というより、かなり体調に波がありつつも
日常生活を問題なく過ごしていたわけです。
が、今年の夏ごろから一気に体調が悪化し、どう見ても具合の悪さが半端なく
母も私もどうにかして病院で診てもらいたいと、再三言うも、馬耳東風の父。
けっこうひどい事を母と私は言われ続けているうちに、言うことさえもタブーな雰囲気に。
(まぁ、そんなのに負けじと言いましたが)
で、「暑い中行くのは無理だ」とか何かと理由をつけては病院行きを拒否し、
9月の下旬、何を思ったのか、ようやく病院に行く決意をし、地元の病院に行ったら
余命宣告をされました。
ドラマなんかで、家族も呼ばれて余命宣告をされるシーンなどがありますが
まさか、自分の家族が、されることになろうとは思ってもいなかったです。
既に症状がかなり進んだ状態で、左の腎臓は既に機能しておらず、膀胱が肥大し
尿管を圧迫している状態で、このまま何もせずにいたらいずれ尿毒症か腎不全になるだろうと。
そこで延命措置として、左の腎臓と膀胱と前立腺を摘出する方法を提案されたのですが、
3つの臓器を摘出するということを、父は拒否。
その後も検査などがあったのにも関わらず、その段階で通院拒否。
まぁ、それからというもの、母と私はいつ父が家で腎不全で倒れるかという
恐怖と不安の日々を送りまして、その間にも、姉2人を交えて今後の方針を
話し合う家族会議が何度もし、
実にいっぱいいっぱいでございました。
家族の意見がわれたりして、しこりが後々まで残らないように話し合い、
今月の上旬に、違う病院先に診察してもらった際に、そのまま入院という形になりました。
父が自分の意志で決めたことにそってのことだったので、今回までの経緯に対して
家族とのわだかまりはなく、これからどうなるかもわかりませんが、今回の事で
いろいろと考えさせられました。
父の歳は70半ば過ぎで、この歳になるまで本当に病院知らずで、とにかく
マスク着用は嫌いでマスクをしたことがなく、何年か前には、都心の駅のホームで
意識不明になって倒れてその際に頭を強打し血が出た際にも、救急隊員が処置したであろう
頭の包帯を全部自分ではずして電車に乗って普通に帰ってくるし(背広の肩部分血だらけでした)
その時も頭打ってるのにも関わらず、病院行くのは断固拒否したし
庭で数十匹のスズメバチに襲われて何ヶ所も刺されたのにも関わらず、救急車を呼ばず
タクシーも呼ばず、自分で自転車乗って病院に行っちゃうし(この時はさすがに病院行った)
こっちの寿命が縮むような出来事は多々ありましたが(遠い目)
まぁ、そんなわけで、まったくの後悔なしとはいかないだろうけど、自分自身
後悔のない選択をしていけたらと思います。
私ひとりの力じゃ無理かもしれないけど、家族で助け合って乗り越えていけたらなと。
あ、ちなみに、入院先の父は、昨日の感じだと悪態つけるくらいには元気でした(笑)
わたくしめはその悪態に若干イラっときましたが(ええええええ)
こういう時は、毎日一緒に過ごしていた娘よりも、嫁にいった姉たちの方が
ワンクッションあるので、父に対して優しくできるんじゃないかと。
私の場合、父と私は性格もわりと似たようなところがあるので、こうなんていうか
反発心がムクムクとw
まぁ、私も父の手術が終わって少し気持ちに余裕がでてきたのかもしれません。
ここ数週間、合間に友人達に会って話を聞いてもらったりして、だいぶ精神的に
助けてもらい、本当に有難かったです。
ちょうど私くらいの年齢になると、親の健康状態などで思うことがそれぞれにあり
不安や悩みなど共感してもらえることで、だいぶストレス発散ができました。感謝。
そんなわけで、途中になっていた京都の旅日記を次回書こうと思いますv
結局京都行ってからもう1週間経ってしまった(汗)
まずはわたくしめの、どうでもよい近況から(ええええええ)
鼻がつまって仕方がありません(本当どうでもいいなw)
というか、鼻水ズルズルの状態が短く、固まってくれるのはいいのですが
鼻の中がガビガビしますぞ、御館様(誰)
喉もあわせて痛イガイガすることから、若干風邪気味かと思うのですが、
この時期はカッフ~ン(花粉)の可能性も。
秋口はわりと咳やら何やらで毎年悩まされるので、何がどれに該当するか謎です。
そして、あまり吹き出物は顔に出ないと思っていたのですが、最近一気に
自分の額がわりと気持ち悪いことになっていて、いただけません。(えええええ)
最初はシャンプーがいけないのか!?とか、化粧品があわないのか!?とか
よく洗顔ができていないのか!?とか、思いましたが、
けっこうどうでもよくなってきました(投げやり~!!)
そんなわけで、2週間経ったので、ちょっとここ1ヶ月ほどの近況を。
2週間前に、父が緊急入院しました。
で、先週の半ばに手術が終わり、今は経過を見守るような感じです。
もうこの1ヶ月を振り返ると
なんかもうわけわからなかったなと。(いろいろと)
実は5年前にも血尿が出て病院にいったら、そのまま緊急入院をした経緯があるのですが、
度重なる検査とその痛みに耐えきれず、病院をぬけだした父。
その頃にも、前立腺癌の疑いがあるんじゃないかというのがあったのですが、
すっかり父は医者嫌いになってしまって(元より嫌いですが)、それ以降
一切病院にいくことを断固拒否していたのです。
健康診断も一切いかない。具合が悪くても、血尿がでようとも、家族が再三病院に
診てもらってといっても断固拒否。家族の心配など迷惑だといわんばかりの態度で
何度心の中で、この頑固じじいめが…っ!
と思ったことか(ひでぇな、娘)
まぁ、そんなわけで、ここ5年間、元気……というより、かなり体調に波がありつつも
日常生活を問題なく過ごしていたわけです。
が、今年の夏ごろから一気に体調が悪化し、どう見ても具合の悪さが半端なく
母も私もどうにかして病院で診てもらいたいと、再三言うも、馬耳東風の父。
けっこうひどい事を母と私は言われ続けているうちに、言うことさえもタブーな雰囲気に。
(まぁ、そんなのに負けじと言いましたが)
で、「暑い中行くのは無理だ」とか何かと理由をつけては病院行きを拒否し、
9月の下旬、何を思ったのか、ようやく病院に行く決意をし、地元の病院に行ったら
余命宣告をされました。
ドラマなんかで、家族も呼ばれて余命宣告をされるシーンなどがありますが
まさか、自分の家族が、されることになろうとは思ってもいなかったです。
既に症状がかなり進んだ状態で、左の腎臓は既に機能しておらず、膀胱が肥大し
尿管を圧迫している状態で、このまま何もせずにいたらいずれ尿毒症か腎不全になるだろうと。
そこで延命措置として、左の腎臓と膀胱と前立腺を摘出する方法を提案されたのですが、
3つの臓器を摘出するということを、父は拒否。
その後も検査などがあったのにも関わらず、その段階で通院拒否。
まぁ、それからというもの、母と私はいつ父が家で腎不全で倒れるかという
恐怖と不安の日々を送りまして、その間にも、姉2人を交えて今後の方針を
話し合う家族会議が何度もし、
実にいっぱいいっぱいでございました。
家族の意見がわれたりして、しこりが後々まで残らないように話し合い、
今月の上旬に、違う病院先に診察してもらった際に、そのまま入院という形になりました。
父が自分の意志で決めたことにそってのことだったので、今回までの経緯に対して
家族とのわだかまりはなく、これからどうなるかもわかりませんが、今回の事で
いろいろと考えさせられました。
父の歳は70半ば過ぎで、この歳になるまで本当に病院知らずで、とにかく
マスク着用は嫌いでマスクをしたことがなく、何年か前には、都心の駅のホームで
意識不明になって倒れてその際に頭を強打し血が出た際にも、救急隊員が処置したであろう
頭の包帯を全部自分ではずして電車に乗って普通に帰ってくるし(背広の肩部分血だらけでした)
その時も頭打ってるのにも関わらず、病院行くのは断固拒否したし
庭で数十匹のスズメバチに襲われて何ヶ所も刺されたのにも関わらず、救急車を呼ばず
タクシーも呼ばず、自分で自転車乗って病院に行っちゃうし(この時はさすがに病院行った)
こっちの寿命が縮むような出来事は多々ありましたが(遠い目)
まぁ、そんなわけで、まったくの後悔なしとはいかないだろうけど、自分自身
後悔のない選択をしていけたらと思います。
私ひとりの力じゃ無理かもしれないけど、家族で助け合って乗り越えていけたらなと。
あ、ちなみに、入院先の父は、昨日の感じだと悪態つけるくらいには元気でした(笑)
わたくしめはその悪態に若干イラっときましたが(ええええええ)
こういう時は、毎日一緒に過ごしていた娘よりも、嫁にいった姉たちの方が
ワンクッションあるので、父に対して優しくできるんじゃないかと。
私の場合、父と私は性格もわりと似たようなところがあるので、こうなんていうか
反発心がムクムクとw
まぁ、私も父の手術が終わって少し気持ちに余裕がでてきたのかもしれません。
ここ数週間、合間に友人達に会って話を聞いてもらったりして、だいぶ精神的に
助けてもらい、本当に有難かったです。
ちょうど私くらいの年齢になると、親の健康状態などで思うことがそれぞれにあり
不安や悩みなど共感してもらえることで、だいぶストレス発散ができました。感謝。
そんなわけで、途中になっていた京都の旅日記を次回書こうと思いますv
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